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上宮高から専修大学を経て1996年、ドラフト逆指名で広島東洋カープに入団。 1999年、シドニーで行われたインターコンチネンタル杯に日本代表として出場し韓国戦で勝利、台湾戦で完封勝利を収める。澤崎に遅れること3年、ついにカープの先発ローテに名を連ねる。
2001年より3年連続2ケタ勝利を達成、日本プロ野球を代表する本格派右腕に成長した。当時、同い年の巨人の松井秀喜との互いに相譲らない力と力の真っ向勝負は見るものすべてを魅了し、今なお語り継がれる名勝負となった。特に2002年9月7日、東京ドームでの巨人―広島26回戦、8回2アウト一塁一打逆転という場面での11球勝負はテレビ解説者や当時の山本浩二監督もうなったほどの名勝負。結果はフォークのすっぽ抜けにタイミングが合わず見逃し三振。
2003年にはそれまでのエース・佐々岡真司に代わって開幕投手となる。2003年の前半は不調で勝てない時期が続いたが、後半から本来の調子を取り戻し、最終的に13勝を挙げた。2003年のアテネオリンピック野球アジア予選、2004年のアテネオリンピックでは野球日本代表中継ぎとして2勝し、銅メダル獲得に貢献した。
2005年にリーグ最多勝利で初タイトルを獲得。タイトル料込みで年俸2億円に達する。
2006年の国別対抗戦WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)には広島から新井貴浩とともに選出され、岩村明憲、福留孝介と共に「無名の注目選手」とされるも、2月24日の12球団選抜との練習試合で打球を右手に受け負傷。出場辞退を余儀なくされる。
同年はシーズン前半も不調だったが、7月2日の中日戦からは負け無しの8連勝。7月の月間MVPをチームメイトの栗原健太とダブル受賞した。更に8月の月間MVPも連続受賞し、球団史上初の2ヶ月連続月間MVP受賞となった。この時、「広島カープの歴史に名前を残せて嬉しい」と発言、広島への強い愛着を伺わせた。しかし、シーズン終盤は右ひじを痛めて長期離脱。10月16日の中日戦で救援で復帰登板、プロ初セーブを記録した。この年、13勝6敗1S・防御率1.85で最優秀防御率のタイトルを獲得。1点台でのタイトル獲得は1992年の赤堀元之(近鉄)以来、セリーグでは1989年の斎藤雅樹以来の快挙となった。この年はパリーグの斉藤和巳(ソフトバンク)も防御率1.75と1点台でタイトルを獲得しており、セパ両リーグで1点台でのタイトル獲得は1969年の江夏豊、木樽正明まで遡る。また同年、スピードアップ賞を受賞。これはテンポのよい投球が評価されてのものだった。
2006年にFA権を取得するが、広島に残留。オフ、渡米しブラウン監督の奨めで右肘関節のクリーニング手術(数ヶ月で投球可能となる軽い手術)を行った。
2007年も開幕投手となり、長谷川良平以来球団2人目の5年連続開幕投手となる。またデーゲームは大の得意で、2003年7月6日から2007年6月3日の楽天戦まで13連勝を記録した。2007年7月14日の東京ドームでの巨人戦にて通算100勝を達成した(ちなみにプロ初勝利も東京ドームでの巨人戦だった)。ただ、前年のオフの右肘手術の影響なのか、シーズン後半ではクオリティ・スタートすら守れない試合が続く等得意としているはずの夏場で、過去2年の黒田らしい試合を支配する投球が出来なかった。12勝8敗、防御率3.56と、大型契約の初年度としては物足りない成績に終わった。
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